2017-2018@Egypt


エジプトで新年を迎えてからひと月、あっという間に2月になってまった。時差ボケも治り、乾燥によってガッサガサだった肌の潤いも戻り、もはやエジプトに行っていたことが信じられないくらい。すっかり現実を過ごしながらも、近くの中野サンプラザを見上げてはピラミッドを思い出している。中野サンプラザは高さ92m、ギザのクフピラミッドは139m。なんという大きさなのでしょう。信じられない。勾配の角度はクフは51度50分、サンプラザはこうみるともっと急である。

忘れまいと書いた長ーい旅行記の中から、厳選した4つのエピソードを紹介します。これでもだいぶ削ったのですが、それでもだいぶ長いです。

王妃の谷「ネフェルタリの奇跡」

いきなりお金の話でなんですが、エジプト観光には欠かせない遺跡拝観料。エジプト人価格と外国人向け価格が設定されており、日本と同じ300〜1,000円くらいの所が多かった。物価の割に高めである。中でも最も高額だったところのひとつは、エジプト中部・ルクソール西岸・ネフェルタリの墓。現地通貨でなんと1,000エジプトポンド、日本円にすると6,500円の衝撃!しかも滞在時間も制限され、たったの10分。1分650円のさらなる衝撃。写真撮影はもちろん禁止。チケット売り場でメンバー全員財布を開けっぴろげ、ありったけの現地通貨をほとんどすべてはたいてなんとか購入することができた。まさかこんなに高いとは予想外で完全に両替ミス。しかも、ここルクソール西岸には日本円から現地通貨への両替所はなく、これから2日間滞在するというのに、初日午前中に金欠という絶望的な状況に・・・。「ネフェルタリの悲劇」。写真は、その後に人に会うしなんとかなるかなと思いながら向かう途中の、思い出の墓の看板の写真です。

王妃ネフェルタリはラメセス2世の妻で、古代エジプト最盛期18王朝時代、今から3300年前の人物である。墓の中は、王妃ネフェルタリやラメセス2世、たくさんの神々の絵、そしてヒエログリフで書かれた死者の書が、壁全面を埋め尽くしている。圧倒される美しさ。ある人の言葉をかりれば「昨日描いたの?」というような奇跡の保存状態である。3300年前に描かれた絵がこんなに素晴らしい状態で、しかも部屋いっぱいの空間の中で体験できる場所は、世界中ここにしかないのではないか。ラッキーなことに、他にお客さんがいなかったからか30分も延長滞在させてくれた。目を見開いて、脳内転写ができたらいいのに!と思いながらのあっという間の30分。目に焼き付ける、とはこういうことなのか。もうこれを見られただけで、ルクソールに来てよかった。ここに来るために、エジプトに行く価値はあるとさえ思う。

ちなみに金欠問題はその後出会う救世主の方々のおかげでその日の夜には解決した。ほくほくの財布に回復。「ネフェルタリの奇跡」。

 

ナイル川と古代エジプトの信仰

訪れた街、北部・カイロ、中部・ルクソール、南部・アスワンで泊まったホテルは全てナイル川沿いにあった。川の両岸の町が特に栄えている。

ルクソールの王家の谷の話を知ったのはいつだったか、たしか中学生か高校生か大学生か。死んだ人の魂は、太陽と同じく東から西へ旅立つのだという。船に乗り、死後の世界へ向かって。だから墓は、ナイル川の西側につくるのだそう。とても興味を惹かれる話だった。

今回の旅では、古代の人々はどんな想いで西側をみていたのか、古代の宗教観を体感できたらよいなと楽しみにしていた。旅の中盤に泊まったルクソール東岸のホテルからナイル川を隔て、西岸の「死者の町」を眺める。朝日に照らされる西岸をみて、はるか向こう、太陽が沈む方向に死者の魂が旅立つ様子は、とても自然なことのように感じられた。本やテレビだけでは決して実感できない、体験することの面白さ。そして知識があるからこそ、その感動を味わえる。何も知らないで向こう側を眺めるのとは訳がちがう。ここで仮説をたてる。感動がうまれる法則の仮説(1)知識×経験=感動。経験の伴わない知識なんて味のない料理と同じである。

ナイル川が南北に流れるこの地形が古代エジプトの宗教観にどういう影響を与えたのか、とても気になる。私の父は宗教社会学の研究者でした。生きているときになかなか研究の話を聞くことができなかったけれど、今こそこの疑問を聞いてみたい。

つくるものの完成度について

古代遺跡も現代住宅も、未完成のものの多さに驚いた。素晴らしい遺跡だって掘りかけのレリーフ、下書のままの絵、中にはガイド線だけ(写真)なんていう部分があることもよく見かけた。こんなに立派なのになんで最後まで仕上げないのだろう!と思ってしまうけど、当時の技術なども想像できてこれはこれで面白い。現代の住宅も同様。柱は3階分まであるのに壁は2階部分までしかできていない住宅。つくりかけのように見えるが、1階2階には人が住んでいて、今後お金がたまったら3階もつくろうという考えらしい。日本人からみると未完成のように感じるが、どうやらエジプトでは完成度の考え方が違うようで、とても面白かった。地震が少ない立地も、こういった建築方式の要因に挙げられるのだそう。

私が「完成度」という言葉をはじめて聞いたのは、学生時代に汐留でやっていたイベントの銅細工ワークショップで、つくったものをみた先生から「完成度が高い」と言われたこと。なんてことない小物入れなのだけど、完成度いう言葉をはじめて聞いて、意味がわからないなりに心に残る体験だった。それから5.6年後、岩手で開かれていた彫刻家・舟越保武の展覧会で、ある彫刻に関する文章にこんなようなことがかかれていた。「つくっている途中でタバコ休憩に出て帰ってきて彫刻をみたら、もう完成しているのだと気付いた」という話。完成というのは目標のようなもので、そこを狙ってものをつくるのだと思っていたから、頭で描く完成とは違った「完成」が降りてくることがあるのかと、印象的だった。

今回のエジプトでこれまで考えてきた完成の概念をぶっ壊された感じ。エジプト人が(きっと他の場所でもあるだろう)どんな「完成」の価値観をもっているのか、興味深く思っている。

 

コーラン

エジプト南部のアスワンのコーラン専門の本屋さんで買った3冊のコーラン。普通のコーランとポケットコーラン、そして写真の変わったレインボーコーラン。もっと厳格なものかと思っていたので意外とポップなデザインが多いことに驚いた。他にも革装豪華装飾版やコーラン専用ケースなど色々あって、どれにしようかと買い物も楽しい。

この国に着いてはじめて乗った車の中で、デッキボードに置いてあるコーランをみて、イスラム世界にきたことを実感した。最終日にカイロを案内してくれたかわいい女子大生が、コーランは持っているだけでお守りの効果もあるのだと教えてくれた。今回の旅は、あの車のコーランが旅の安全を告げてくれ、アスワンで買ったこのコーランが守っていてくれたように感じている。でもつくりは案外粗雑。汚れていたり、表紙が足らず下地が見えていたり。

これまでの本の修理の仕事で聖書と仏教書に触れる機会はあったが、コーランはまだない。いつかコーランの修理もしてみたいと思っている。祈りの書には、他の本とは異なる何かを感じる。それが何であるか、今はまだ言葉が見つからない。まずはこのお守りコーランを綺麗にしようと思う。

 

 

以上、長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。記事のタイトル「ナイルの細道」は、出発前に考えたこの旅のタイトル。特に深い意味はなかったけれど、実際に見た大河ナイルは意外と狭く(場所によっては淀川の方が広い!?)、思いがけずぴったりなネーミングとなって気に入っています。