ブックストーリー 2018.10.20 up

『天童正覚和尚偈頌箴銘記聞解』上下巻|美濃判147丁|江戸時代後期|栄見山 観音院 所蔵

今年も残すところあと2ヶ月。あっという間に過ぎていく日々の中で、「何もしない」時間はどのくらいあるだろう。もはや何もしないことに罪悪感すら感じてしまう今日この頃・・・。仏教がはじまった2500年前の人々も、こんな悩みを抱えていたのかもしれない。

この夏、都内の寺院の仏教書の修理をきっかけに、坐禅会に9日間参加した。坐禅は仏教の教えのひとつで、なにもせずただ坐る修行である。企業などでも多く取り入れられているマインドフルネスや瞑想の手法も、仏教、とりわけ禅の坐禅が元になっている。本格的な坐禅から日常的なものまで、現代人のコンディションをととのえる方法としても注目されている。

坐禅の話は後半紹介するとして、まずは本の修理から。

このお寺では数千冊の書物を所蔵している。そのうち貴重な本の数々は書庫で大切に保管されていたが、あるときその多くが虫喰いの被害にあってしまう。穴だらけになった本を手にした和尚さんは、ショックのあまり泪を流し、その際に手放してしまった本もあったのだという。中でも大事にとっておいた江戸時代の和綴じ本を、今回修理することになった。

本の状態は、147丁(294頁)のほぼすべてのページに虫喰いによる穴があいている。まずは1枚1枚丁寧にはがしてからクリーニング。その後、無数の穴を裏から補修する。穴の多いページは全体を極薄の和紙で裏打ちし、穴の少ないページは部分的にひとつひとつひたすら埋めてゆく。その後、繕ったページを新しい絹糸で綴じ直し、修理完了。保存用の函も新しく作成した。

Before
 
After
 

本の美しさは、デザインや造本だけではない。いたってシンプルな和綴じ本でありながら、心打たれたのは一糸乱れず並んだ手書きの文字。ぽってりとした墨の色と、すっきりした線と余白。丁寧で清々しく、眺めているだけでまるで心洗われるようである。

今から200年以上前、どんな人がどんな気持ちでこれを書き記したのだろうか。僧侶が書いたのだろうか。この本に着手するまでに、どれだけの努力や修行があったのだろう。この熱量に見合った技術と気概をもって、私はこの本に向き合っていただろうか。

 

 

修理が終わってから、このお寺の坐禅会に参加させてもらった。ここでは365日毎朝5時半〜7時まで坐禅会が開かれ、誰でも参加することができる。

1日目、お盆が明けてほんの少し秋の空気が感じられる日。坐禅堂にはかすかに虫の声が聞こえ、まるで旅先に来ているかのような創造的なひとときを過ごす。

2日目、前日のたのしい体験の余韻と雨の予報とがあいまって、さぞきれいな雨音が聞こえるのだろうと期待して参加。しかし全く集中できない。眠い。昨日はあっという間だった45分間を長く感じて仕方ない。坐禅後にそのことを和尚さんに話すと「期待するからいけない」と言われ、納得する。「欲をもたない。期待しない。ありのままを受け入れただ坐ること。」

3日目、前日の言葉を肝に銘じて坐る。だが今度は暑さが気になってしょうがない。早朝にもかかわらず、ただじっと座っているだけだからか、”苦”に対してもより敏感になるようだ。そして今日も眠い。

・・・4日目以降は長くなるので省略。

何もしないただ坐るだけの時間の中で、さまざまな思考が浮かんでは消え、予想外の発見をもたらしてくれた。それはノイズ過多の日常ではなかなか認識できなかった、些細な心の機微のようなもの。太鼓の音ひとつですら、音の粒子を感じるような驚きの体験。

よく「心を無にして」「心の声に耳を傾けて」などともいうが、私にとっては外界で起こること(例えば温度、音、気配・・・)に対する自分のリアクションに気がつくことが、とても面白かった。まわりに流されたり惑わされたり、慌ただしいときにこそ、その小さなリアクションを思い切り楽しんでいきたい。

これらはあくまで個人的な体験で人それぞれの坐禅があると思いますが、年の瀬を前に、坐禅を体験してみてはいかがでしょう?

 


*ご依頼主の許可を得て、修理やオーダー製本させていただいた本にまつわるストーリーを紹介しています。

 

 

 

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