トラベルストーリー 2018.12.13 up

エジプトの地からはじまった2018年がもうすぐ終わる。初日出はカイロの空港から拝み、アスワンのイシス神殿での初詣参り、ナイル川に沈む初夕日を眺めた。帰国後にエジプト旅行記①を書いてからずいぶん経ってしまったけれど、なかなか書けなかったナイルの細道3部作を、今年のうちに仕上げてゆきます。

(文章長いので、お時間あるときにどうぞ!)

 

■千年先の未来のこと

2017年12月30日、エジプト・カイロ国際空港に降り立った。もうとっくにクリスマスは過ぎているというのに、到着ロビーにはクリスマスツリーが飾られている。続いて向かったホテルでも、クリスマスソングが流れている。あれ?25日過ぎても引き続き新年の飾り付けに使うのかな?などと話していたら、エジプトのクリスマスは1月7日だということをホテルのフロントの人が教えてくれた。

エジプト国民の9割がイスラム教徒、残りの1割がキリスト教徒だといわれている。宗派は、エジプトで独自に発展したキリスト教の一派、コプト教。そのコプト教のクリスマスが1月7日なのである。ちょうど滞在期間中は日本でいう12月20日前後の雰囲気で、どおりでクリスマスムード一色なはずだ。

古代エジプトの遺跡には、ところどころコプト教の痕跡が残されている。代表的なものは特徴的な形をした「コプト十字」。コプト教がエジプトに入ってきたと言われる1世紀以降、その頃には衰退して使われなくなった古代エジプトの神殿の一画を、コプト教の礼拝堂として再利用していたからである。ルクソール神殿の内部にある礼拝所跡では、現在でも熱心に祈りをささげる人がいた。写真の南部の街・アスワンにある岩窟聖墓に残るキリストの壁画をみて、ここがかつてコプト信仰だったことを実感した。

旅の最終日の1月6日、カイロにあるコプト教会を訪れた。クリスマス前日ということもあり、セキュリティは万全。それまでイスラム教の地区にしか訪れてこなかった私たちは、教会地区のお土産やさんで売られている十字架やイエス像を見てとても驚いた。

何千年もの間ナイル川のもとで、古代エジプト太陽神信仰、コプト教、イスラム教と様々な宗教を受け入れてきたエジプト。さらに遠い未来、新しい信仰にとってかわられることはあるのだろうか?自分の寿命を大幅に越えた未来のことを普段はなかなか想像できないけれど、この国にいると内包する時間の幅が大きくなり、千年先の未来も今の延長線のように感じられる。

■アスワンハイダムの夢

一緒に旅をした仲間の1人は、河川にかかわる仕事をしている。今回の旅の中での彼の一番のハイライトは、アスワンハイダム。とても気の優しい人で、事前に行き先を決める打ち合わせのときにも、自分の行きたいところよりも皆の希望を聞いて「いいねいこう」と言ってくれるような穏やかな人柄。そんな彼が、ここだけは行きたいと強く主張したのがアスワンハイダムだった。世界一長いナイル川にある、世界で第2番目に巨大なダム。エジプト全体で使用する電力の半分は、このハイダムの水力発電でまかなっているという。

ダムの形状は日本でよくみる地上で放水するタイプではなく、地下のパイプでコントロールするタイプなので、見える部分は穏やかで地味である。上流側には対岸が見えないほどの巨大なダム湖・ナセル湖対岸があり、この先にスーダンがある。

アスワンハイダムができたことで、アブ・シンベル神殿もイシス神殿も元あった場所からの移転を余儀なくされた。有名な「世紀の大移動」の話で、これをきっかけに世界遺産ができた。そんな大掛かりな移転が伴うのに、なぜこの場所にダムを建設することになったのか?それはナイル川の勾配に由来する。エジプト国内の川の勾配は極めて平らに近く、ここは珍しく勾配のある場所なのでダムをつくるにはベストだったのだそうだ。遺跡だけでなく、人々が住む村も多く水没したらしい。もしかしたら、まだ未発見のまま湖に埋まってしまった遺跡もあったかもしれない。

ダムの影響により、エジプトの気候も変わった。ナセル湖の上に雲ができ、雨が降るようになった。上流数百キロにあるルクソールの街では、このことが原因で数年に1度大雨が降り、建築的にも貴重な泥れんがの家が相当壊れてしまったのだという。

またカイロ近郊に細い運河が流れていたのだが、ここはかつてナイル川だったのだそう。というのも、ダムができるまでナイル川の場所は地図上で確定しなかった。平らな勾配の影響で洪水が毎年起こり、水が引き安定したところがその年のナイル川になっていたのだという。ダムができて水量が安定し、ようやく現在の場所に固定された。

冒頭の彼は、念願のアスワンハイダムを前にとても嬉しそうだった。彼と旅をしたから、ここにこれた。だがその直後、アスワンの街で食べたターメイヤ(代表的なエジプト料理、豆のコロッケ)にあたって寝込んでしまうという悲劇が起こる。しかも、私がこのあたりで食べ歩きランチをしようと提案した結果なので、今でも申し訳なく思っている。いろいろな意味で彼の印象が強いアスワンの元旦になった。

■コトバのちから

以前ミャンマー旅行をした際に、ミャンマー語を習ってから旅をしたことがある。それまでの旅は、どこへいくにも片言の英語を使っていたが、いつか現地の言葉を学んでから旅がしてみたいとずっと思っていた。はじめは語学本を読み独学で勉強していたのだが、いざミャンマー大使館にビザの受け取りに行ったときのこと。ミャンマー人の受付の方を前に、ミャンマー語でこんにちはという意味の「ミンガラーバー」というたった一言ですら、恥ずかしくて言えなかった。

これではいくら一人で勉強してもだめだと思い、意を決してミャンマー語のレッスンを受講。たかが1週間の旅行のためにお金を払って習いにいくなんてばかばかしいと思いつつも、この経験が人生を変えたといっても過言ではない。たった10回のレッスンなので流暢なコミュニケーションまではいかないが、現地の言葉を話すだけで見える世界がこんなにも違うものかと、忘れられない旅となった。英語だけでは味わえなかった出会いと体験があった。以来、海外へいくときにはその国の言葉を少しでもネイティブの人に習うことにしている。

今回は、たまたま出会った外語大のエジプト人留学生の方がアラビア語を教えてくれた。きっかけは、出発直前に近所の国際交流センターで開かれたエジプト文化講座に参加したこと。講座終了後、講師をされていた留学生の方にアラビア語を教えてくれないかと尋ねてみたら、快く引き受けてくださった。この近所の偶然の出会いが旅を大きく変えることになる。言葉だけでなく、美味しい食べ物、買い物の場所、モスク、それから現地でガイドしてくれる友達まで紹介してくれた。人生は本当によくできている。

覚えた言葉はとても少なかったけれど、旅をとても豊かにしてくれた。
アッサラームアレイコム(こんにちは)、ワアレイコムサラーム(こんにちは返し)。チャイナ?ヤバニーア(日本人)。アラビア語が話せるの?シュワイシュワイ(ちょっとだけ)、ペラペラペラペラ・・・、ミシュファフィマー!(わかんない!)、ビカーム?(いくら?)、ガーリー!(高い!)ノス!(半分)、ミンファドラック(お願い)、シュクラン(ありがとう)、アフワン(どういたしまして)、ジャミール(美しい)。

エジプトに限らず、旅先での現地の人と観光客とのやりとりは、観光施設やお店、ホテル、タクシーなどでのビジネス的な会話が多くなりがち。その中で、たった一言の現地の言葉がぐっと距離を縮めてくれることがある。

以前母と、近代につくられた人工的な言語・エスペラント語がなぜ広まらなかったのかについて話をしたことがある。そのときに母が「文化がないからじゃないか」と言っていた。文化でありアイデンティティーでもある言葉。だからこそほんの少し話すだけで、その”国”や”あなた”に興味と敬意をもっているということが感覚で伝わり、心をひらいてくれやすいのではないかと思っている。全く接点のない人とも、もう二度と会うことがないであろう人とも。

土地や文化、言葉が異なる人たちと笑ったり怒ったりした思い出は、人生の宝物。視野が狭くなる時にこそ、地球の裏側に、海の向こうに、山の中に”あの人”がいると思うだけで、いつも救われている。ありがとう。

→つづく「エジプト旅行記③〜ナイルの細道〜」(Coming soon…)

 

BLOG

お知らせ
イベントレポート
ブックストーリー

 instagram