トラベルストーリー 2018.2.2 up

エジプトで新年を迎えてからひと月、あっという間に2月になってまった。時差ボケも治り、乾燥してガッサガサだった肌の潤いも戻り、もはやエジプトに行っていたことが信じられないくらいである。すっかり現実を過ごしながらも、近くの中野サンプラザを見上げてはピラミッドを思い出している。中野サンプラザは高さ92m、クフ王のピラミッドは139m。なんという大きさなのでしょう。勾配の角度はクフは51度50分、サンプラザはこうみるともっと急である。

忘れまいと書いた長い旅行記・ナイルの細道3部作をご紹介。これでもだいぶ削ったのですが、それでもだいぶ長いので、お時間あるときに読んでください。

■ 王妃の谷「ネフェルタリの奇跡」

いきなりお金の話でなんですが、エジプト観光には欠かせない遺跡拝観料。エジプト人価格と外国人向け価格が設定されており、日本とだいたい同じ300〜1,000円くらいの所が多かった。現地の物価の割には高めである。中でも最も高額だったところのひとつは、エジプト中部・ルクソール西岸・ネフェルタリの墓。現地通貨で1,000エジプトポンド、それは日本円にするとなんと6,500円!しかも滞在時間はたったの10分という制限付。1分650円である。写真撮影はもちろん禁止。チケット売り場では、メンバー全員財布を開けっぴろげ、ありったけの現地通貨をほとんどすべてはたいてなんとか人数分のチケットを購入することができた。まさかこんなに高いとは予想外の展開で、両替ミス、ほぼ現地通貨がなくなってしまった。しかも、ここルクソール西岸には日本円から現地通貨への両替所はなく、これから2日間も滞在するというのに、初日午前中に金欠という絶望的な状況に陥る。「ネフェルタリの悲劇」。写真は、その時の思い出の看板の写真です。

王妃ネフェルタリはラメセス2世の妻で、古代エジプト最盛期18王朝時代、今から3300年前の人物である。墓の中には、王妃ネフェルタリやラメセス2世、たくさんの神々の絵、そしてヒエログリフで書かれた死者の書が、壁全面を埋め尽くしている。圧倒される美しさ。ある人の言葉をかりれば「昨日描いたの?」というような奇跡の保存状態である。3300年前に描かれた絵がこんなに素晴らしい状態で、しかも部屋いっぱいの空間の中で体験できる場所は、世界中ここにしかないのではないか。ラッキーなことに、他にお客さんがいなかったからか30分も延長滞在させてくれた。目を見開いて、脳内転写ができたらいいのに!と思いながらのあっという間の30分。目に焼き付ける、とはまさにこういうこと。もうこれを見られただけで、ルクソールに来てよかった。ここに来るために、エジプトに行く価値はあるとさえ思う。

ちなみに金欠問題はその後出会う救世主の方々のおかげでその日の夜には解決した。ほくほくの財布に回復。「ネフェルタリの奇跡」。

 

■ ナイル川と古代エジプトの信仰

訪れた街、北部・カイロ、中部・ルクソール、南部・アスワンでのホテルは全てナイル川沿いにあった。エジプトでは、川の両岸の街が特に栄えている。

ルクソールにある「王家の谷」の話を知ったのはいつだったか、たしか中学生か高校生か。死んだ人の魂は、船に乗り死後の世界へ向かって、太陽と同じ東から西へ旅立つのだという。だから墓はナイル川の西岸につくられるという話を聞いて、当時の私はそのエジプトの死生観や宗教観にとても興味を惹かれた。

今回の旅では、古代の人々がどんな想いで西岸をみていたのか、古代の宗教観を少しでも体感できたらよいなと楽しみにしていた。旅の中盤に泊まったルクソール東岸のホテルは、素晴らしいのナイル川ビューの部屋で、早朝ベランダから西岸の「死者の町」を眺める。朝日に照らされる西岸をみて、はるか向こう、太陽が沈む方向に死者の魂が旅立つ様子は、とても自然なことのように感じられた。本やテレビだけでは決して実感できない、体験することの面白さ。そして知識があるからこそ、その感動を味わえる。何も知らないで向こう側を眺めるのとは訳がちがう。ここで仮説をたてる。感動がうまれる法則の仮説(1)知識×経験=感動。経験の伴わない知識なんて味のない料理と同じである。

ナイル川が南北に流れるこの地形が古代エジプトの宗教観にどういう影響を与えたのか、とても気になる。私の父は宗教社会学の研究者だった。生きているときになかなか研究の話を聞くことができなかったけれど、今こそこの疑問を聞いてみたいし、父と一緒にエジプトを旅してみたかった。

■ つくるものの完成度について

古代遺跡も現代住宅も、未完成のものの多さに驚いた。素晴らしい遺跡だって掘りかけのレリーフ、下書のままの絵、中にはガイド線だけ(写真)なんていう部分があることもよく見かけた。こんなに立派な建物なのになんで最後まで仕上げないのだろう!と思ってしまうけど、当時のつくりかたや技術を想像することができ、これはこれで面白い。現代の住宅も同様。柱は3階分まであるのに壁は2階部分までしかできていない住宅。つくりかけのように見えるが、1階2階には人が住んでいて、将来お金がたまったら3階もつくりましょうという考えらしい。日本人からみると未完成のように感じるが、どうやらエジプトでは完成度の考え方が違うようで、とても面白かった。地震が少ない立地も、こういった建築方式の要因に挙げられるのだそう。

私が「完成度」という言葉をはじめて聞いたのは、学生時代に参加した銅細工ワークショップで、つくった銅の入れ物をみた先生から「完成度が高い」と言われたとき。なんてことないものなのだけど、完成度いう言葉をはじめて聞いて、意味がわからないなりに心に残る体験だった。それから数年後、岩手で開かれていた彫刻家・舟越保武の展覧会で、ある彫刻に関する文章にこんなようなことがかかれていた。「つくっている途中でタバコ休憩に出て帰ってきて彫刻をみたら、もう完成しているのだと気付いた」という話。完成というのは目標のようなもので、そこを狙ってものをつくるのだと思っていたから、頭で描く完成とは違った「完成」が降りてくることがあるのかと、印象的だった。

今回のエジプトでこれまで考えてきた完成の概念がぶっ壊された感じがする。エジプト人が(きっと他の場所でもあるだろう)どんな「完成」の価値観をもっているのか、今、興味深く思っている。

 

■ コーラン

エジプト南部・アスワンのコーラン専門の本屋さんで買った3冊のコーラン。普通のコーランとポケットコーラン、そして写真のレインボーコーラン。もっと厳格なものかと思っていたので意外とポップなデザインが多いことに驚いた。他にも革装豪華装飾版やコーラン専用ケースなど色々あって、どれにしようかと買い物も楽しい。

この国に着いてはじめて乗ったタクシーの中で、デッキボードに置いてあるコーランをみて、イスラム世界にきたことを実感した。最終日にカイロを案内してくれたかわいい女子大生が、コーランは持っているだけでお守りの効果もあるのだと教えてくれた。今回の旅は、あのタクシーのコーランが旅の安全を告げてくれ、アスワンで買ったこのコーランが守っていてくれたように感じている。でもつくりは案外粗雑で、汚れていたり、表紙が足らず下地が見えていたり。

これまでの本の修理の仕事で聖書と仏教書に触れる機会はあったが、コーランはまだない。いつかコーランの修理もしてみたいと思っている。祈りの書には、他の本とは異なる何かを感じる。それが何であるか、今はまだ言葉が見つからない。まずはこのお守りコーランを綺麗にしようと思う。

 

 

以上、長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。記事のタイトル「ナイルの細道」は、出発前に考えたこの旅のタイトル。特に深い意味はなかったけれど、実際に見た大河ナイルは意外と狭く(場所によっては淀川の方が広い!?)、思いがけずぴったりなネーミングとなって気に入っています。→つづく「エジプト旅行記②〜ナイルの細道〜」

〈2017/12/29〜2018/1/6〉

 

 

 

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